うささんとの日々

夫と娘とのゆるふわ3人暮らし。海外挙式・育児・家づくり

これは乳腺炎でしょうか?

退院して、2週間目。

睡眠不足の「今は昼ですか?夜ですか?」生活にも、慣れた。

 

 

実家にお世話になっています(夫・がうくん共々)。

そして、がうくんがアメリカへ出張へ出発。

娘・ぷくとのほぼ2人生活が始まりました(両親は日中仕事をしているため)。

まるまる二週間。

 

 

ひとりになり(大げさ)気になるのは、激痛・おっぱいのことばかり。

たいてい授乳直後からおっぱいが痛くなり、

刃物で突き刺されたように痛みます。

おっぱい全体が痛むときもあれば(→これは、まれ)、胸の外側や中心部と場所がいろいろ移りながら痛むこともあり…。乳首のあたりが、じーんと痛くなることもあります。

寄せては返す波のように、痛みがぎゅーっときたりマシになったり、を繰り返します。

ひどいときは、2時間くらい。

痛みで胸をぐっと手で押さえ、必死に耐えることも、、、。

 

 

母乳育児の先輩として、母にこの痛みは何なのか尋ねました。

「えぇ~?!張ってくる痛みじゃないの??

 飲ませた後に痛い、とか無かったわ。病院の母乳外来行く?」

と、まあ頼りない答え。

そうでした。

母は私とは違って、母乳育児で困ったことなどなかったのです。

キィー!!

 

 

 

乳腺炎かも?」なるワードで、次第に不安になってくる私。

そして、授乳のたびに痛みに耐えながら、

こんなに痛いなら、母乳で育てなくていいんじゃない?!

と、何度も思う(いえ、何百回も思いました。はい)。

授乳直後に痛むってことは、授乳しなければ痛くないんだし。

 

 

 

でも、娘が泣くたびにおっぱいをやり、ミルクをやり、搾乳しました。

さぼらず、毎回。

1日につき11回とかいう頻度で。

激痛おっぱいと戦う。死ぬ思いで。

 

 

 

ミルク缶にも書いてあるんですよね~。

お母さんの母乳が最良です」ってね。

ミルクを使っていると、毎回目に入る呪いの言葉、ダナ。

「母乳で育ててこそ、母親ョ!ミルク使うなんて、母親失格ョ!」

みたいな(ここで、すでに病んでいますね…)。

 

 

この時点で、おっぱいと向き合う毎日に正直ウンザリしてきました。

赤ちゃんを素通りして。

話し相手もいないしね。

孤育てとは、こういうことを言うんだろ~な、とか回らない頭で思う日々。

 

 

 

初めから、おっぱいを赤ちゃんにあげるお母さんのイメージが好き、じゃなかったし。

何が何でもおっぱいを軌道に乗せて、とも思わなかった。

けれどもこのとき、睡眠不足からか思考力を奪われており、ぼーっとしたまま同じことを繰り返していました…。

毎回。

つまりは、「おっぱい→ミルク→搾乳」。

で、激痛。

睡眠不足って、こわーい。

 

 

 

 

ちょっとした睡眠でさえ、痛みでとることができない日々。

こういうときの頼みのつな。

グーグル先生!!

「授乳 痛み 乳腺炎

「おっぱい 授乳 直後」

などで、検索しまくる。

 

 

 

 

結局、よく分かりませんでした。

胸にはしこりもなかったし、つーんとくる痛みでもないような・・・???

そのまま頻回授乳を続けたところ(激痛に耐えながら)、2か月ほどして、痛みが来なくなりました。ある日、突然。

今にして思えば・・・

あれが「おっぱいが張ってくる」ということだったのだろうか?

行こう行こうと思っているうちに、母乳外来を利用し損ねました(幸いなことに)。

 

 

 

これが世に名高い「乳腺炎 なりかけ」??

 

 

けれども。

痛いならできるだけ早く、病院へいくべきだったと今になって思います。

お母さん業はノンストップ、「土日祝日なし」ですからね。

 

 

追:

なんで混合授乳なのに(母乳足りないのに?)、搾乳してるのか?というと・・・

 

 

はじめは、乳首が切れて痛くて片胸10分とか到底無理でした。

なので、胸のかたくなっている分(しこり)を搾乳。つまり、乳腺炎予防!

乳首は徐々に治って、強くなっていったのですが、

激痛に耐えかねる状態で、、、授乳後少し搾乳したら、マシになったからです。

痛み対策!

 

 

 

生後3か月の現在、基本的に搾乳はしていません。

(全部飲んでもらっている。ぷくに)  

授乳地獄

母乳育児って、すぐに軌道に乗ると思っていた私。

見込み違いの、混合授乳での退院に(なぜか)罪悪感いっぱい。

 

 

そして、切れた乳首とぱんぱんに張って激痛の胸で、退院。

娘・ぷくとの授乳タイミングが合わず(眠っていたり、お風呂だったり、小児科の先生の検診があったりした)、事前に告げられていた時間に退院を余儀なくされる。

(今思えば、搾乳するまで待ってもらえばよかった…)

余りの痛みに、夫・がうくんにお願いして、そのまま搾乳機を買いに行きました。

 

 

 

買った搾乳機は、これ↓

 

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ピジョンの手動バージョン。

産院では基本、手でしぼっていたため、手首や指や首が悲鳴をあげていた。

胸の状態を確認しながら、自分の手で搾乳するのは乳腺炎予防のためでもあるらしいけど(と、産院で助産師さんに言われた)、いかんせん時間がかかりすぎる!

(早くしないと、次の授乳時間が来てしまうのだ)

ある程度、便利な器具に頼るのも大事かと思います。。。

おおまかに搾乳機でしぼって、残りは手でやるとか…ね。

 

 

退院してからの日々は、もう授乳授乳授乳ひたすら授乳(昼夜問わず)。

授乳とおむつ替えと抱っこ。

この3つしかしていないのじゃないか?!くらいの毎日です。

 

 

授乳のやり方

①冷蔵庫から前回搾乳した母乳を出してくる。

 ミルクを作り、その母乳を一緒に哺乳瓶に投入し、冷水につけておく。

②娘・ぷくにおっぱいをあげる(片胸10分ずつ)。

③冷えてきた哺乳瓶で、ミルク+母乳を飲ませる。

④搾乳して(手動の搾乳機+手でしぼる)、冷蔵庫で冷やす。→次回に使う。

⑤搾乳機と哺乳瓶を洗い、消毒。

計1時間20分(毎回!!!)

 

 

そしておむつを替えて、寝かしつけていると、あれあれあれ…という間に、

2時間半が経っており、また「ぅわぅぅうううー!」と泣かれて①に戻る。

繰り返し。

無限ループの地獄です。

 

 

 

(産後ハイが切れたからか)夜がしんどいです。

ミルクづくりや搾乳もしないといけないので、添乳でごろん、ができない。

娘・ぷくは、ちょっとで満足して眠ってしまうタイプの、いわゆる「大人しい新生児」とかではありませんでした。

自分の希望通りになるまで、ぎゃ~ぎゃ~ぎゃ~とひたすら泣き続けるのです。

大きめちゃんで生まれたからか、声も大きい。

特に「眠りたい泣き」が、すごかった(眠れないよ~抱っこして~~揺らして~~~~っていうやつです)。ご近所さんが「赤ちゃん暑がってるんじゃない?クーラーかけてる?」とか「すっごく泣いてるわねぇ」と心配そうに声をかけてくるくらいです。

 

 

そんな目で見られても・・・

虐待していませんから!

 

 

 

みんな、どうして乗り切っているのだろう…。

今さらながら…

母は偉大だ!

母乳育児がつらい!(入院中)

産んだ次の日から、母乳指導の開始。

(なんで当日じゃないのかと言うと、分娩が終了したのが夜の八時で、和痛分娩だったためふらふらしていたからです。多分…。)

 

 

娘のぷくは臨月まで、逆子になったり元に戻ったりを繰り返すお転婆娘で(帝王切開の予約までちゃんと入っていた。ぎりぎりで元に戻ったけれど)、病院からはおっぱいマッサージをしないように、と言われていました。

…子宮が収縮し、予定外で産まれてしまうから、と。

 

 

そのせいなのか、体質的なものなのか…

母乳が思ったように出ません!

産んだら、勝手に出るようになるのだと思っていた私。

加えて、溢れるほど母乳が出たという逸話を持つ母に、出産前から「あなたもたくさん出るわよ」と聞かれていた…。

全然、出ないよーーー!!

 

 

産んで2日目にして、助産師さんに「ミルクを足しましょう」と提案される。

「私、母乳(だけ)で育てたいんですけど」

と、勇気を振り絞って言ってみたが

「このまま赤ちゃんの体重が減ると、赤ちゃんだけ小児病棟へ移らないと駄目ですよ。長期入院になってもいいんですね?!」

と、厳しい顔でベテランの助産師さん。

 

 

 

こ、怖い・・・。

それで大人しくミルクを足しました。

というより、助産師さんが隣でミルクを持って待っているため、選択の余地なし。

母乳育児って、もっと簡単だと思っていたよ…。反省。

 

 

それに、何よりおっぱいの痛みがつらかった。

赤ちゃんがおっぱいに吸い付く時が、激痛。

それから入院3日目からおっぱいが赤く腫れあがり、乳首が切れ(何度も)、しこりができて、歩くと響く。

それなのに、その血が出ているおっぱいに「何度も飲ませると、スムーズにいくようになるから」と、赤ちゃんの口をくわえさせられる。

四六時中、激痛の嵐。

 

 

 

出産したらお腹が軽くなる分、少しはマシな生活になるかなぁ…とかぼんやり思っていた私は超絶甘かったのです。

こんなに痛いなら母乳じゃなくてもいいよ、と既に心は折れかけ(まだ入院中にもかかわらず)。

 

 

産後ハイなのか、(入院中の)睡眠不足はそれほどつらくなかったです。

それよりおっぱいのつらさ!

おっぱい、つらい!!

母乳ってみんな、こんなに大変なのかな。

頻回授乳のしんどさ。

入院中は、母子同室の個室だけど、授乳間隔が6時間以上開かないように管理。

娘のぷくは本当によく泣く子(飲むのが下手くそという説もある)で、片胸10分(両方で計20分)+ミルクを飲み終わったら、30分もしないうちに次の授乳の時間が来て大泣き。

こんなので、帰宅してやっていけるのだろうか?

病院では哺乳瓶の洗浄・消毒はやってくれるけど、帰ったら自分でやるんだよね、、、当たり前だけど。

トイレに行く時間もないよ(ちょっと大げさ)。

はぁーってなっていました。

 

 

 

今思い出しても、本当に入院中が一番つらかったです。

出産レポ④ 誕生

ついに子宮口が全開に。

意識もうろう、へろへろで動く元気さえない私。

こんなので今からいきんで産めるの?

 

 

 

不安を感じる間もなく、車いすで分娩室へ。

助産師さんたちが「まだまだかかりそうね」と喋っているのを聞き、

えぇ~?!まだなの?!!

と思う。

分娩台の上で「いきむ練習をしましょう」と助産師さんに言われ、

長い時間痛みに耐え続けた私としては、ちょっとホッとしました。

 

 

 

そして、麻酔→会陰切開。

出産前は、これを一番恐れていましたが。

「切りますよ」

という声掛けとともに

しょきん、

麻酔のちくっとした痛みしかしなかったです。本当に。

 

 

 

分娩室に入ってから1時間半ほどで、無事出産できました。

立ち合いに間に合い、新米パパになった夫・がうくんが嬉しそうに赤ちゃんを抱いて登場。私も洗って綺麗になった娘を抱っこしました。

安堵で涙がぽろっ。

18時間ごえの出産でした。

 

 

 

その後、会陰を縫ってもらい、取り出された胎盤を見せてもらいました(衝撃の内臓!!)。

すべてが終わって、何とか車いすで部屋に戻れたのは、夜の八時半すぎでした。

母子同室が良いか訊かれたものの、この日はあずかってもらうことに。

あまりにもへろへろで、赤ちゃんが泣いても動けるか分からない!と思いました。

 

 

 

結果的に、あずけてよかったと思います。

1晩眠れたわけですし。

次の日から、泣き続ける娘と眠れない夜が始まるのです。

 

出産レポ③ ハヤシライスを忘れない

和痛分娩は中止。

 

 

通常の痛み(陣痛)のつらさに耐えかねて、痛みの合間に、

和痛分娩を再開してもらえるように助産師さんに必死に頼み込みました。

医師に聞いてみるとは言われたものの、しばらくそのまま…(このとき担当医師は、外来の診察中でした)。

 

 

すっごい痛みで朦朧とするなか、私は、

病院で出されたお昼ごはん(ハヤシライス)を食べ、ケータイでメールをしながら付き添ってくれている実母に、腹を立てていました。

 

 

痛がってるそばで、昼食食べなくてもいいよね!?

なんで、ケータイばっか見てるの?!外でやってよ!!

と。

 

 

付き添いなんか要らん!と、このとき強く思いましたが、それを口に出す元気さえない。ぐっしょり汗をかき、喉の渇きから水を求めていたものの、入院グッズのなかにキャップ付きストローを入れてきたのに、使用できず。

ただ痛みに耐え、う~うぅ~~と呻るのみ。

 

 

痛みの波がくるたびに私が呻り、母が慌てたようにケータイを止め

「はっ、はっ、はっ、と息をするのよ~」というのですが、全然効かない。。。

 

 

そうしているうちに午睡の時間をすぎ、なんとか和痛の薬を再開させてもらえることに。薬が入ると急激に楽になり、何とか喋られるまでに痛みが軽減。

しかし、お腹の中の赤ちゃんが陣痛中なのに寝てしまい、降りてこないという事態に・・・。急きょ、誘発分娩が追加されました。

 

 

 

夫も汗だくで戻ってきました。

(会社の人たちが、早く帰らせてくれたと聞きました)

夫のがうくんが、手を握って「深く息を吸って」と言ってくれたのですが、これが一番痛みには効いたと思います。

 

 

 

陣痛の時のハヤシライスは一生忘れることができないでしょう。

出産レポ② 和痛分娩

真夜中。

 

 

無事に入院となり、両手首に点滴の針を入れられる。

事前に和痛分娩を希望していたので、今すぐに薬を入れるのが良いか尋ねられる。

一般的にはどうするのが良いのか聞いてみた。

「子宮口が3センチなので、和痛の薬を入れてみてもいいと思います」

と、助産師さん。

なので、お願いしました。

 

 

この病院の和痛分娩は手首の点滴から、痛み止めの薬を入れるというもので、

痛みが来る頃に、妊婦自身が手元のボタンを押すことで薬が少しずつ体内に入っていきます。

ただし、一度ボタンを押して痛みが軽減されると、数分経つまでいくらボタンを押しても一定量以上は薬が入らないという仕組み。

あくまで痛みを和らげるものであり、痛みがなくなるわけではありません。

 

 

個室に通され、和痛の点滴と胎児の心拍を確認するベルトに拘束され、

ひたすら陣痛の波に耐える。トイレにも行けない、、、。

「呼吸の数値が90以下にならないようにして、眠らないでくださいね」

助産師さんに言われました。

 

 

しかし、和痛の薬で(痛みを麻痺させているため)頭がぼーっとなり、

うとうと・・・。

そうするうちに、付き添っている夫に起こされ→陣痛の痛みが来る→

ボタンを押す→うとうと。。。繰り返し。

 

 

つまり、付き添いの人間も夜中一睡もできないというわけで、これはかなりつらかったと思います。

眠いのに眠れないし、痛みが消えるわけでもない。

おまけに気分が悪くなり、何度も吐いてしまう。

水分補給が大切だというので、夫が用意してくれたウィダーインゼリーなどを開けてくれるのだけど、味を感じる余裕もなく、全部吐き戻してしまいました。

 

 

そして、夜が明ける…。

 

 

 

何度か助産師さんが来て、子宮口の開き具合を確認してくれるが、

朝の時点で、まだ5cm。

10時半になったら、夫も仕事へ行くという。

どうにも外せない仕事だと、前日から聞いていた私。

初産だし、と立ち合いを熱望していた夫。

 

 

何とかならないのかと思うものの私の力で出産がどうにかなるわけもなく、

ついに時間切れ。

夫は仕事へ行き(完徹のまま)、私の母親と付き添いを交代。

→夫・がうくんが朝にうちの母に電話をしてくれたようでした。

 

 

母が来て、数時間後。

和痛の1パックがとうとう終わりを迎える。

それと同時に、痛みが軽減されない陣痛がどーんとやってきました。

 

 

 

同時に痙攣。

体を止めようのない震えが襲う。意識ははっきりしているものの、自分の力で全く痙攣を抑えることができない。

母が、ナースコールをして助産師さんたちを呼び、若い医師が呼ばれ、そのまま和痛分娩の中止が告げられました。

 

 

そのまま、(普通の?)陣痛に向き合わされる。

痛い、腰の下の方がくだけそうなくらい痛い。

このとき、

「痛みを10段階であらわすと、どれくらいですか?」

助産師さんに尋ねられる。

 

 

 

私は壮絶な苦しみの中、「7です」と答えた。

今になって思う。

10です!!!

痛みは、マックスです!!!!

 

 

当時子宮口がまだ6センチで、まだまだ先は長いと思っていたので(産むまで)、

まだ相当痛くなるんだろうな、と思っていました。

それで、「7」と答えたのですが・・・。

ちなみに、和痛の薬が入っているときは「痛みは、3です」と答えました。